でも、当時は、プログレもユーロも事実上駆逐されており、GENESISもピーガブにもBEST HIT USA (TV)でお目にかかるような時代。私にとって久々に見たRICORDIだったからです。DISCHI RICORDIは、50年代から90年代までビジネスをしていたイタリア大手レコード会社で、BANCO DEL MUTUO SOCCORSO、L. Battisti、F. De Andre、F. Battiatoなど錚々たる大物のレコードを出していました。国内では、キングレコードが日本盤を出してくれたので、私の様な世代の人間にとってもその音楽を聴くことができたのです。
正確無比なKeyのNocenzi兄弟、巨漢なのに優しげな歌声のFrancesco Di Giacomoらで構成するBMSはイタリアンプログレの宝ですよね。攻撃的かつ感動的な音楽が展開するデビュー盤『BANCO DEL MUTUO SOCCORSO』(1972)、’「L’EVOLUZIONE」、「750000ANNI FA..L’AMORE」等ドラマチックな名曲ばかりのコンセプトアルバム『DARWIN!』(1973)、少しアコースティックになりながらも同様に素晴らしい3作目『IO SONO NATO LIBERO』(1973)の初期3作はみな大傑作、高校当時、キングレコードによる日本盤のおかげでしっかり聴くことができました。
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この後MANTICOREレーベルから『Banco』(1975)で世界デビューしますが英語の歌には少し違和感あります。同じくMANTICOREから出たダイナミックな大傑作『COME IN UN’ULTIMA CENA』(1976)等の後、インストアルバムの『…DI TERRA』(1978)でRICORDIに戻り、穏やかで美しい『CANTO DI PRIMAVERA』(1979)、時代を反映して名曲群がポップな演奏となったライブ『CAPOLINEA』(1980)をリリース。その後、CBSに移籍しています。
その後DeCioccioは脱退しますが、RICORDIに計4作程度残して別レーベル移籍し、ポップなJIKILL SIDEとSAX、女性コーラスなど導入して変化をもたせたHYDE SIDEという構成の『DR.JIKILL E MR.HYDE』(1973)、演奏面にウェイトを置いたプログレ然とした好盤『SACRIFICO』(1974)を発表することとなります。
I DIK DIK
ラブロックバンドである彼らも1972年に発表した『SUITE PER UNA DONNA ASSOLUTAMENTE RELAIVA』は、プログレ寄りになっており、メロトロン、ストリングス系キーボードなどを多用したシンフォニックな好盤です。変形ジャケの次作『STORIE E CONFESSIONE』(1973)では、オーケストラバックのメロディアスな歌ものに戻っています。
HUNKA MUNKA
DIK DIKにも瞬間参加していたRoberto Carlotto(Key)が変名でソロアルバム『DEDICATO A GIOVANNA G』(1972)を発表しています。楽曲がよく、プログレ・ポップといった感じで、時々APHRODITE’S CHILDの『IT’S FIVE O’CLOCK』あたりを連想させられるアルバムとなっています。
REALE ACCADEMIA DI MUSICA
72年作『REALE ACCADEMIA DI MUSICA』は、素朴で牧歌的な歌と、オルガンなどがシンフォニックに響く楽曲も魅力的なプログレがほどよくミックスされたなかなかの好盤です。1974年にはSSWのADRIANO MONTEDUROとの共作をRCAからリリースしていますが、こちらも暖かみのあるメロディアスなアルバムとなっています。
MUSEO ROSENBACH
脅迫的に迫り来るイタリアンロックにおけるヘビー・シンフォの大傑作アルバム『ZARATHUSTRA』(1973)は超有名ですよね。本作のみで解散し、Giancarrlo Golzi (ds)は、MATIA BAZARの中核メンバーとして活動、また、2000年にMUSEO名義で『ZARATHUSTRA』の香りをそれなりに残しつつMATIA風に洗練された『EXIT』というアルバムを発表しました。一方、説得力のある歌声を聴かせてくれたStefano Galifi(vo)は、最近、IL TEMPO DELLA CLESSIDREという新人バンドに参加して歌っています(彼らのビデオを見たらZARATHUSTRAを演奏してました。)。
その狭間の期間に、研ぎ澄まされた現代音楽・前衛音楽のアルバム『BATTIATO』(1977)、『JUKE BOX』(1978)をRICORDIからリリースしていますが、なぜ、この期間だけRICORDIからこのような音楽を発表していて、その直後になぜEMIに移籍して『L’ERA DEL CINGHIALE BIANCO』(1979)というポップ全開となったのか、私にとってはとても謎です。
この他RICORDIのアルバムとしては、後期GOBLINのメンバーとなるW. Martino(ds)が在籍したLIBRAの『Musica & Parole』(1975) 、ブラスが活躍するROCKY’S FILJの『STORIE DI UONIMI E NON』(1973)、セルビアのバンドKORNELYANSの『NOT AN ORDINARY LIFE』(1974)など、楽曲が素晴らしく、なかなか捨てがたいものがあります。
Vittorio Nocenzi、Gianni Nocenziを中心に結成され、Francesco Di Giacomoの迫力のある歌声とツイン・キーボードのアンサンブルを個性にイタリアを代表するプログレッシブ・ロックグループへと飛躍。シーンに衝撃を与えP.F.M.に続いて世界デビューを果たしたバンドの72年2nd。前作のハードな音楽性とテンションはさらに高められ、前作以上に複雑に構築された楽曲がカオティックに進行していきます。核となるピアノ、オルガンといったキーボード群に加えてモーグ・シンセサイザーが大幅に存在感を示すようになり、イタリアのほの暗い陰影をドラマティックに演出。セクションによってはアヴァンギャルドとすら言えるほどの攻撃性が凄まじい名盤です。
Vittorio Nocenzi、Gianni Nocenziを中心に結成され、Francesco Di Giacomoの迫力のある歌声とツイン・キーボードのアンサンブルを個性にイタリアを代表するプログレッシブ・ロックグループへと飛躍。シーンに衝撃を与えP.F.M.に続いて世界デビューを果たしたバンドの73年3rd。その内容は、前作で爆発的なテンションを聴かせた攻撃性、アヴァンギャルドなサウンドをオリジナリティーに落とし込み、クラシカルな気品を持ったシンフォニック・ロックにまとめた名盤です。勢いで押し続けるような作風からバランスの取れたトータルなサウンドへの移行が見受けられ全体的にスッキリした印象を持ちますが、それによってへヴィーなセクションと静寂に包まれるセクションの対比が明確に描かれています。