2020年4月12日 | カテゴリー:世界のロック探求ナビ
1965年4月12日にリリースされたバーズのデビュー・シングル「ミスター・タンブリン・マン」。
英米ともにチャートの1位を記録し、60年代半ばにアメリカで大流行したフォーク・ロックの先駆けとなりました。
「ミスター・タンブリン・マン」は乱暴に言ってしまうと、ボブ・ディランとビートルズの融合です。
60年代前半のアメリカはフォーク・ブームに沸き立っており、ボブ・ディランがフォークのヒーローとして活躍していました。しかし次第にディランは「フォーク」の枠に収まりきらなくなり、やがてエレクトリックに転向します。
また64年にはビートルズがアメリカに上陸して旋風を巻き起こしており、フォークが新しい形を迎えようとしていました。
そんな矢先にリリースされたのがこの楽曲です。
もとはボブ・ディランの楽曲である「ミスター・タンブリン・マン」ですが、ディランとランブリン・ジャック・エリオットの未完成のデュオ・テープがバーズの元に出回ったことがきっかけで録音されました。
当時のバーズは皆フォーク畑出身でロックの演奏の経験があまりなく、実際に演奏しているのは12弦ギターのロジャー・マッギンのみです。
ビーチ・ボーイズ周辺のサーフ/ホット・ロッド作品に多く携わっていたプロデューサーのテリー・メルチャーの指示のもと、ハル・ブレイン、ラリー・ネクテル、グレン・キャンベル、レオン・ラッセルなど西海岸のプロのミュージシャンによって演奏されました。
12弦ギターの印象的なイントロ、柔らかなコーラス、浮遊感あるメロディを、演奏陣がしっかりとした土台で支えています。
テリー・メルチャーのプロデュースにより、ビーチ・ボーイズ「Don’t Worry Baby」を下敷きにしたアレンジとなり、楽曲にキャッチーなビートが加わました。これを聴いたディラン本人が「Wow, you can dance to that!」と驚いたほど、吸引力の高いサウンドに仕上がったのです。
♪BEACH BOYS / Don’t Worry Baby
さて、この「ミスター・タンブリン・マン」の大ヒットを受けて、全米でフォーク・ロックが大流行しました。
もともとポップス産業が盛んだった西海岸では、テリー・メルチャーやルー・アドラーなどの敏腕プロデューサーや振興レコード会社の尽力もあり、バーズに続けとばかりにフォーク・ロック・グループが沢山出現します。
いくつか聴いてまいりましょう。
まずは、西海岸から。
ルー・アドラーがロサンゼルスに設立したダンヒル・レコードは、フォーク・ロック作品を多くリリースしました。
その第一弾とも言えるのがバリー・マクガイアの「明日なき世界」。
バーズ「ミスター・タンブリン・マン」を聴いて、「次はフォーク・ロックだ」と確信したルー・アドラーの指示のもとP.F. スローンが書いた楽曲で、最初はバーズに打診されたとか。
直接的にベトナム戦争を批判した歌詞のため放送禁止となったことでかえって注目を集め、全米1位のヒットとなりました。
独特のだみ声が印象的で、ラフ・ミックスがそのままオン・エアされてレコードになったそうです。
ハル・ブレインやラリー・ネクテルなどが参加し、バリーのボーカルをしっかりサポートした「フォーク・ロック」を演奏しています。
「明日なき世界」を書いたのがこちら、P.F. スローン。
ルー・アドラーのもと、ロサンゼルスの音楽業界で裏方として働き、スティーヴ・バリとソングライター・コンビを組んで、ママス&パパスやタートルズなど多くのアーティストに楽曲を書いていました。
P.F. スローン自身もダンヒル・レコードから65年にデビューしましたが、ソングライターとしての仕事が忙しくてプロモーションが十分にできず、セールスは振るいませんでした。
「From A Distance」は本国アメリカではヒットしなかったものの、日本で「孤独の世界」としてヒットしました。
こちらの66年作は、憂いを含みつつキャッチーなメロディのフォーク・ソングが詰まった傑作。何よりスローンの力強くも柔らかい歌声がストレートに胸を打ちます。
こちらもダンヒル・レコードからデビューしたグループです。
それぞれニューヨークのフォーク・グループなどで活動していた2組の夫婦がロサンゼルスに移り、デビューしたママス&パパス。
美しいコーラス・ハーモニーとキャッチーなメロディが人々の心を掴み大ヒット、フラワー・ムーブメントを象徴する存在にもなりました。
フィル・スペクターの下で裏方として働いていたソニー・ボノ、ロネッツのコーラスにも参加していたシェール。
スペクター・サウンドとフォーク・ロックが融合したサウンドです。
次は東海岸を見てまいりましょう。
「ミスター・タンブリン・マン」から半年後の66年1月、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が米ビルボードのヒットチャート1位を獲得しました。
この楽曲は64年のデビュー作『水曜の朝、午前3時』に収められていたオリジナル・バージョンの「サウンド・オブ・サイレンス」を、プロデューサーのトム・ウィルソンが無断でフォーク・ロック調に再録音したもの。
人の孤独や疎外を描いた歌詞と、静かな弾き語りからドンシャリしたバンド・サウンドへとダイナミックに進むサウンドが時代にぴたりとはまり、人々の心を打ちました。
カリフォルニアのママス&パパスと同じ母体グループ、マグワンプスから派生したグループが、ラヴィン・スプーンフルです。
10代の頃からグリニッジ・ヴィレッジで活動していたジョン・セバスチャンが作り出す、ほのぼのとした温かみある楽曲群。
ラグタイムやスキッフルなどが根底にあるそのサウンドは、「グット・タイム・ミュージック」とも称されて親しまれました。
ラヴィン・スプーンフルと並びグリニッジ・ヴィレッジで活躍していたフォーク・ロック・グループ。
フォーク・シンガーのジェシ・コリン・ヤングが結成した4人組で、67年7月に「ゲット・トゥギャザー」がヒット、サマー・オブ・ラヴを象徴する楽曲となりました。
65年作の2nd。名曲「THE SOUND OF SILENCE」「I AM A ROCK」など収録の名作。
名ソングライターとして知られるP.F.スローンの66年作2nd。ダンヒル・レコードの設立者ルー・アドラーの下でスティーヴ・バリとコンビを組み、サーフィン/ホット・ロッド〜フォーク・ロックと、時代に合わせたヒット曲を多く生み出しました。ジャン&ディーンやタートルズ、ハーマンズ・ハミッツなど多くのアーティストに曲を提供。「Where Were You When I Needed You」で知られるGRASS ROOTSはスローンとバリのデモをリリースしたことから始まったグループだったり、バリー・マクガイアが歌い大ヒットさせたプロテスタント・ソング「Eve Of Destruction (明日なき世界)」はスローン作詞作曲でした。そんな売れっ子ソングライター、スローンの2ndとなる本作は、憂いを含みつつキャッチーなメロディのフォーク・ソングが詰まった傑作。何よりスローンの力強くも柔らかい歌声がストレートに胸を打ちます。日本でヒットした「From A Distance(孤独の世界)」やタートルズに提供した「Let Me Be 」が収録されています。
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