2019年10月12日 | カテゴリー:世界のロック探求ナビ
スタッフ増田です。
プログレやハード・ロックなど、これまでのロックの表現をさらに発展させた画期的名盤が次々と登場した1969年。
それと同時に、ヨーロッパ大陸西ドイツにおいても非常に地域的かつ先進的な、別の「新たなロック」が誕生していました。それがドイツ実験的ロック=「クラウトロック」。
以前はそんなクラウトロック誕生の灯火とも言える、ドイツの学生コミューンから発展したバンドAMON DUUL IIのデビュー作『PHALLUS DEI』をご紹介いたしました。
しかし同じ1969年の西ドイツには、もう一つのクラウトロックの原点にして歴史に残る傑作が存在します。
それが現代音楽やフリージャズを学んだ「三十路の」音楽家たちによるバンド、CANのデビュー作『MONSTER MOVIE』です。
前述の通り、クラウトロックとは60年代末の西ドイツに誕生した「実験的ロック・バンド群」の総称。
その音楽性はバンドによって様々ですが、どれも他の国には見られない先進性をサウンドに導入していたのが特徴です。
シンセサイザーをはじめとする電子テクノロジーの本格的な導入、ミニマル・ミュージックやフリー・ジャズ、現代音楽といった前衛的な他ジャンルとの融合…。
彼らの革新的なサウンドは後にポスト・パンクやニューウェーブ、テクノやエレクトロニック・ミュージックなどの分野に多大な影響を与えますが、やはり誕生当時は「早すぎた」という言葉が適切だったのでしょう。クラウト(酢漬けキャベツ=ドイツ人の蔑称)ロックという呼称が表すとおり、多くのバンドは「理解しがたいもの」として正当な評価を受けぬまま終わってしまいました。
そんな中でも当時の聴衆に受け入れられ、西ドイツから世界に名を広めていったクラウトロック・グループも存在します。AMON DUUL IIやKRAFTWERK、TANGERINE DREAM……中でも今回ご紹介するCANは、その筆頭と言えるグループです。
CANが誕生した地はドイツ西部の大都市ケルン。美しいケルン大聖堂をシンボルとするこの街は、当時のヨーロッパにおけるフリー・ジャズの中心地であり、また現代音楽家シュトックハウゼンの電子音楽スタジオもここに建てられるなど、前衛音楽の要地でもありました。
ベーシストのホルガー・シューカイとキーボード奏者イルミン・シュミットの二人は、そんなシュトックハウゼンの門下生。驚くことに両者ともバンドを結成しようとした頃には既に三十路近く、特にシュミットはピアニストや指揮者、映画音楽家としてのプロキャリアを積み上げていました。
ドラマーのヤキ・リーベツァイトも二人と同世代で、彼はフリー・ジャズの場で名を馳せていたミュージシャン。現代音楽かフリー・ジャズかという違いはあれど、彼らは共通点を持っていました。それは既存の堅苦しい音楽に対する飽和感、そして新しい音楽を創り出したいという欲求です。
まず、シューカイはスイスで音楽教師をしていた頃の生徒であり、CANのギタリストとなるミヒャエル・カローリにバンド結成を相談。カローリをシュミットに引き合わせると彼もバンドの結成に賛成し、「新しいことを始めたい」と考えていた知人のドラマー、リーベツァイトを勧誘します。
後述する2人の奇妙なヴォーカリストをはじめ、数人のメンバーの加入や脱退はあれど、CANの核を成すのはこの4人。シューカイ、カローリ、シュミット、そしてリーベツァイト。かつては「反抗的な若者の音楽」であったロックの土俵に、「プロフェッショナルな三十路の前衛音楽家」が降り立った……それがCANというバンドのまず特異な点として挙げられます。
さらに特筆すべきは先程も触れたヴォーカリストの存在。最初に彼らがバンドに引き入れたヴォーカリストは、アメリカから来た黒人のマルコム・ムーニー。しかも彼は昔ゴスペル・グループに参加していたというくらいで、本業は彫刻家。歌手としては全くの素人です。
また、ムーニー脱退後にCANがスカウトしたヴォーカリストは、世界各地を浮浪していた日本人ヒッピーのダモ鈴木。
本人たちは専門的な音楽の教養を持ちながら、人種も国籍も違う素人を引き込み、そこから新たなものを生み出す。そんな化学実験のような彼らのコンセプトは、ムーニー在籍期のデビュー作から既に見て取ることができます。
そんなCANがリリースした第一作目が、69年作『MONSTER MOVIE』。
それまで英国や米国が牽引し、革新的な作品を生み出してきたロック・シーン。そんな中で本作は、そのどちらにも媚びることのない前衛的なロック・サウンドを鳴らし、敗戦国ドイツからの「反撃の一手」となった最初の作品です。
学究的なロック門外漢が組んだ異形のロック・バンド、CAN。そのデビュー作から、いくつか曲をピックアップしてみましょう。
アラームのように単音を連射するキーボード、うねるフレーズを繰り返すベース、同じコードをかき鳴らすギターに、印刷機のごとく一定のリズムを刻むドラム。不穏で切迫したアンサンブルの中、ぶつぶつと呟くようなムーニーの呪術的なヴォーカルが響きます。
ヴォーカルが止むとギターがノイズまがいのインプロヴィゼーションを鳴らし、ベースがフリーフォームな動きを見せ始めますが、ドラムは始終つんのめるように、そして無機的に同じビートを打ち続けたまま。
ガレージ・パンクのように荒々しく、それでいながらも工場の機械作業のような無機質さに満ち、なおかつ繰り返されるグルーヴが聴き手に興奮をもたらす。それ以前のロックにはほとんど類似せず、どちらかと言えば後世のポスト・パンク/ニューウェーブやインダストリアル・ミュージックの方が「まだ」近いと言えるような、先進的かつ異質なサウンドが1曲目から繰り広げられています。
「Can」として始まったバンドの1曲目が「Cannot」というのもシャレが効いている……かも。
本作『MONSTER MOVIE』にはたった4曲しか収められていません。A面に3曲、そしてB面を丸々占めるのが、20分に及ぶこの1曲「Yoo Doo Right」です。
12時間に及ぶセッションから切り取られたというこのナンバーは、まさしくCANの真骨頂。
後にプログレッシヴ・ロックの発展によって1曲20分を超える長尺のロック・ナンバーは増えていきますが、その多くはクラシックの組曲のように展開やドラマ性が盛り込まれたもの。しかしこの楽曲には、ドラマチックな展開や感動的なソロ・パフォーマンスは一切ありません。あるのは最小限の旋律と、執拗なまでに繰り返されるリズム・パターン。延々と反復される演奏に合わせ、ムーニーのヴォーカルもまた狂気に取り憑かれたように「Yoo Doo Right…Yoo Doo Right…」と苦しげな声で繰り返します。
なぜ、CANはこれほどまでに執拗な「反復」にこだわったのでしょうか? それはおそらく、シューカイやシュミットらが60年代末になってようやくビートルズやジェームズ・ブラウンを耳にしたことも要因の一つでしょう。難解な現代音楽を学んできた彼らにとって、それらの音楽の特徴とは「同じようなビートの繰り返し」でした。生真面目なドイツ人気質によるものでしょうか、彼らはロック・バンドを始めるにあたってその様式にのっとり、さらにその特徴を極端に誇張してしまったのです。
また、徹底した単調さ、ドラマ性の排除という点では、彼らの本業であったクラシックやフリージャズへの決別と捉えることもできます。理論に基づいた構築的な楽曲、高度な即興演奏のための技巧主義……そこから遠ざかることによって代わりに生まれたのは、原初の部族音楽にも似たエナジーみなぎる「グルーヴ」の快感。
反復がグルーヴを生み、グルーヴがトランス=恍惚状態を生む。ムーニーが食事を取るため部屋を退出し、1時間ほどして戻ってきてもメンバーはまだ同じ演奏を続けていたという12時間のセッションの逸話からしても、彼らがある種のトランス状態にあったことは伺えます。そしてもちろんそのグルーヴに身を委ねることで、聴き手も恍惚感に呑まれていく。この手法もまた、後世のトランス・ミュージック(大枠を辿ればクラウトロックのエレクトロニック・サイドが起源とも言えます)を先取りしているかのようです。
制御された機械的反復と、野趣に満ちた原始的グルーヴ。複雑なバックグラウンドから生み出された、過剰なまでの単純さ。理性と衝動、教養とアマチュアリズム。CANはその高い専門性を駆使し、「極めて意図的に」「意図せぬもの」を組み合わせることによって、前衛的で先進的なサウンドを創り出しました。
しかしその一方で、彼らは当時の聴衆が考えうる「ロック」の枠組みから大きく外れてはいなかったように思えます。ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムというスタンダードなバンド編成を取っていて、歌詞も(一部除いて)英詞。次々作『TAGO MAGO』の後半のようにかなりアヴァンギャルドな演奏をすることもありますが、一方でポップさのある楽曲も作ることができ、「Spoon」のようなシングル・ヒットも飛ばしています。
要するに、CANは非常にインテリジェントなバンドだったのでしょう。常に新しい要素を吸収し、実験や練習を重ねつつ、そのサウンドはどこかシンプルで普遍的。そんな時代を超越した音だからこそ、あらゆる時代の様々な分野に彼らの影響は受け継がれています。とはいえ「ロックを知らないインテリおじさんのバンド」なんて、この時代でなければ生まれてこないでしょうね……。
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シュトックハウゼンに師事した現代音楽家や、プロのジャズ・ミュージシャンらによって68年に結成されたドイツのグループ、CAN。彫刻家としてドイツにやってきたアメリカの黒人、マルコム・ムーニーをヴォーカリストに迎えたこの1stは、まさに歴史的な衝撃作です。延々と繰り返されるドラムのビート、ノイズまがいのガレージ・サウンドをかき鳴らすギター、飛び跳ねるように蠢くベース……。そんな音楽家たちによる実験的極まりないアンサンブルに、アマチュア同然のムーニーのヴォーカルが見事に調和しているのだから驚き。ムーニーはこの1stの発売後、神経衰弱によって脱退してしまいますが、時にけだるげに囁き、時にパンクロックのように叫び散らす歌声は、後のヴォーカリスト・ダモ鈴木にも負けず劣らず多彩で個性的。それまでのどんな音楽の型にも収まらない、無機質かつ無国籍なサウンドは、約50年経った今でも未だに最先端と言えるでしょう。
「W. C. フィールズの文句を言い換えるなら、私たちは二度同じ風呂に入ったことがないんだ(ホルガー・シューカイ)」 ダモが抜けてもカンは飽くなき前進を続ける。カローリのヴァイオリンとリズミカルなヴォーカルのフレーズが印象的な冒頭の名曲「Dizzy Dizzy」を筆頭に、新たなスタートを切った1974年の傑作。リード・ヴォーカルはカローリとシュミットが代わる代わるつとめているが、専任のヴォーカリストを失ったことで、インストゥルメンタルの要素は必然的に増しており、後のシューカイのソロにつながるテープコラージュも頻繁に取り入れられている。シューカイとリーヴェツァイトの繰り出す拍動のようなリズムの上でカローリのギターが暴れる「Chain Reaction」から、静謐な中にも緊張感に満ちて謎めいた「Quantum Physics」への流れも素晴らしすぎる。英「The Wire」誌の企画「最も重要なレコード100枚」にも選出。
紙ジャケット仕様、Blu-spec CD、10年デジタル・リマスター、定価2381+税
盤質:傷あり
状態:
帯有
紙ジャケに若干指紋汚れあり
カン史上、最もポップなメロディと痛快なユーモア精神に彩られた、ロックのステロタイプに限りなく接近しておきながら、スレスレのところで笑い飛ばしてしまう1975年の傑作アルバム。バンドが初めてマルチ・トラック録音を導入したという意味でも節目となったこの作品を受けて、英メロディ・メイカー誌はカンを「地球上で最も進んでいるロック・ユニット」と評した。これまでにない入念なミキシングのプロセスから生まれた巧緻なサウンド・プロダクションと突き抜けた軽快さを感じさせる楽曲の組み合わせが見事に作用している。アモン・デュール?のプロデューサーとして有名なサックス奏者、オラフ・キューブラーが、カンのアルバムでは初のゲスト・ミュージシャンとして参加。カンのディスコグラフィの中では過小評価されているが、聴かれずにいるのはあまりに勿体無い重要作である。
最初期から1975年に至るまでの未発表音源をまとめたLP2枚組のコンピレーション。19曲77分という凄まじいヴォリュームで、もうひとつのベスト盤とも呼べる内容。カンにとっては一番60年代当時のビート・バンドに近い作風と言える名曲「Connection」、数十年後の音楽を先取りしていたとしか思えない異様に予見的な「Fall of Another Year」や「The Empress and the Ukraine King」、マルコム・ムーニーのポエトリー・リーディング調のヴォーカルが冴え渡「Mother Upduff」といった、初期のマテリアルだけでも十分に素晴らしいが、ダモ鈴木が日本の「公害の町」に嫌気がさして「ドイツに逃げよう」と英語まじりの日本語で歌う「Doko E(どこへ)」や、『フューチャー・デイズ』期のアンサンブルが秀逸な浮遊感溢れる「Gomorrha」、さらにはカンにおけるユーモアと演奏の自発性を最も良く表している「Ethnological Forgery Series (E.F.S.)」など、何もかもが魅力的である。
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