2017年9月27日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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愛すべき日本のプログレッシャーさんたちに密かに愛読されてる、愛すべきプログレ・ムック・シリーズがある。シンコー・ミュージック・エンタテイメント刊の《THE DIG Special Edition》で、❶13年11月『ロック・カヴァー・アート』→❷14年11月『ジェネシス』→❸15年11月『キング・クリムゾン』→❹16年11月『イエス』→❺17年1月『キング・クリムゾン ライヴ・イヤーズ1969-1984』→❻同年3月『エマーソン・レイク&パーマー』ときて、9月25日には最新刊❼『ピンク・フロイド』が発売されたばかりだ。〈よくあるプログレ本〉っぽくない内容が特徴的なシリーズで、私も毎回オーダーいただき原稿を書いている。
ちなみに編集陣は、元『キーボード・マガジン』編集長と元『ベース・マガジン』編集長と元『ドラム・マガジン』編集長……ん? ELPじゃん、かっけー。
とはいうもののさすが歴戦の勇者たちで、そのオーダーは過酷なのだ。「ピーガブ脱退後のジェネシスを誉めろ」とか「フリップ卿との十五年戦争を振り返れ」とか「もっともらしい『ドラマ』最強説を書け」とか、テクニカル過ぎないかお題が。
この連載でも書いた気がするが、今年の正月三が日にクリムゾン1974年のライヴ音源を29公演分、ずーっと聴き続けてそのライヴ評を29本(失笑)書いたのは、❺のせいである。おかげで私は〈フリップ+ウェットン+ブルフォード+クロス〉期の貴重な未発表曲“ドクター・ダイアモンド”を鼻歌で唄える、地球上にたった一人のおっさんになれた。全然嬉しくねーっ。
ついでだから書いとくと、プログレじゃないけど同シリーズのロバート・プラント本でオーダーされたのは、「84年に大ヒット・オールディーズ・カヴァー・アルバムである『ヴォリューム・ワン』をリリースした、ハニードリッパーズ30年ぶりの新作の内容を妄想しろ」ときたもんだ。出ねえよそんなもん。
で今回の新刊、❼ピンク・フロイド本でも何本か書いたのだけど、書くまでの準備に最も時間を費やしたのが、【結局28枚組BOXになっちゃった『The Early Years 1965-1972』改めて完全ガイド】と【ロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモア、己れのライヴにおけるピンク・フロイド・クラシックスの聴かせ方徹底比較】。
あ、これは露骨なプロモーションなので、フロイド本買ってください(邪悪笑)。
ウォーターズにせよギルモアにせよ、フロイド時代の楽曲を自分のライヴでカヴァーするのは、当然の権利だ。だって二人は〈元ピンク・フロイド〉、何の遠慮も要らない。世界中のオーディエンスがライヴで聴きたい楽曲だって、ソロの新曲なんかじゃなくフロイド・クラシックスのはずだ。皆、ここは素直に認めよう。
で、ウォーターズが一方的に脱退した1985年秋以来、両者とも自分のライヴで《俺のピンク・フロイド》を披露してきた。そしてこの比較論原稿を書くに際して、私はオフィシャル&ブートレッグ問わず、両者の膨大なライヴ音源と映像を仔細に観察したんだよ4日間も。
そうすると、ウォーターズとギルモアそれぞれの〈フロイド観〉やその時々で抱えてた〈本音〉が、フロイド曲の選曲やアレンジにあからさまに露呈してるので、なかなか趣深いのだこれが。ちなみに28枚組は72時間観たよ聴いたよ。
というわけで、二人の歴代ソロ・ツアーで披露されてきたフロイド・クラシックスの一覧を統計化したりなんかして相違点を分析しちゃったりしてるが、ま、そこは買って読んでください。あからさまなプロモーション再び、ですな。「じゃあ思わせぶりなこと書くなよ」って話だが、そのフロイド本で泣く泣くカットせざるをえなかったことをここで書いておきたかった。
ロジャー・ウォーターズにとって人生二度目のソロ・ツアー、1987年8月14日@プロヴィデンスから同年11月22日@ウェンブリー・アリーナまで全37公演を数えた《RADIO K・A・O・S》シークエンスが、やたら面白かったのである。
「自分抜きでピンク・フロイドが成立するはずがない」。
『狂気』『炎』『ザ・ウォール』を経て『ファイナル・カット』に結実した純粋な表現衝動のさらなる発露の一方で、〈自分のバンド〉を勝手に名乗って活動再開するギルモアに対する憎悪と怨念が、ウォーターズをより極端に走らせてたのは周知の事実だろう。好意的に解釈すれば、ウォーターズがフロイド時代よりも人間臭かった頃かもしれない。ここらへんのやたらムキになる感じ、可愛いではないか。
まずざっと説明しておくと、まず84年6~7月と翌85年3~4月が最初のソロ・ツアー《The Pros and Cons of Hitch Hiking》全36公演。ツアー前半は同名1stソロ・アルバム同様、エリック・クラプトンの参加が話題を呼んだ。
ところが続く2ndソロ『RADIO K・A・O・S』は、よりにもよって再始動フロイド第1弾の『鬱』と正面衝突し、ウォーターズは屈辱的惨敗を喫してしまった。このため会心の3rdソロ『死滅遊戯』のツアーは断念する羽目になったものの、ベルリンの壁崩壊という〈世界史的現実〉と一体化した90年7月21日のオールキャスト・ライヴ《The Wall:live in Berlin》は、ポツダム広場に40万人もの大観衆が集結するわ世界各国に衛星中継されるわで、すっかりウォーターズは自信を取り戻した。
よかったよかった。
心情的にはともかくも法律的には現フロイドとの和解を成立させたことも重なり、以降のウォーターズは新作ソロは諦め、ライヴ・メインに活動をシフトする。
99~02年にかけて、フロイド&ソロのキャリア総集編ツアー《In the Flesh Live》全105公演――ソロとして初来日も果たした。『狂気』を全曲再現した《The Dark Side of the Moon Live》全121公演は、06~08年。なんと歴代3位の興行収入を記録した10~13年《The Wall Live》全219公演は映画化もされるなど、記憶に新しい。で16年10月に「本気」のリゾート地営業シリーズ《The Best of Pink Floyd》全5公演を順調に消化しておいて、現在は17年5月から《Us+Them Tour》を継続中だ。本コラム第4回にも書いたが、『アニマルズ』をメインに据えてドナルド・トランプを徹底的に揶揄しまくるその内容は、ウォーターズ十八番の〈人並外れた執念深さ〉がいかんなく発揮されている。
敵に回すと面倒くさくて嫌ぁぁな男だろうなとつくづく思う。ギルモアの気持ちが初めてわかった気がしたないま。
と基本的には〈フロイド・クラシックス・エンタテインメント路線〉にやっと慣れてきた感はあるが、さて今回の主役《RADIO K・A・O・S》ツアーではまだまだ、ウォーターズの自我はとてつもなく面倒くさかったのだ。セットリストを書いてみる。
ちなみに①③⑪⑫⑭㉖㉗㉘がツアー・タイトルでもあるソロ・アルバム『RADIO K・A・O・S』、⑳は前作『ヒッチハイクの賛否両論』収録曲。⑩は③のカップリング曲で⑬は⑭㉘の12インチ収録曲にして、共にアルバム未収録曲。⑮は演出上のトラック。
執念深さという点では、かつてピンク・フロイドを木っ端微塵に空中分解させた曲群を、“ザ・ガンナーズ・ドリーム”を筆頭に披露する執着心は脅威だ。リリース当時にツアーが実現しなかったからこそ、何がなんでもライヴで唄いたかったんだろうが、人として怖い。憂さ晴らしかよ。
さてこのツアー、おそらくウォーターズ自身は稀代のロック・オペラ『ザ・ウォール』をヴァージョンアップした新作として、自信満々だったと思う。勿論、バンドと観客の間に巨大な壁を築いて崩壊させる的な単純明快なギミックこそないけれど、ライヴの演出自体はよく練られていた。
2ndソロ・アルバム『Radio K・A・O・S.』は〈vsドナルド・レーガン〉であり〈vsマーガレット・サッチャー〉でありと、英国の炭鉱労働者ストライキやら米軍によるリビア爆撃やらを揶揄する、強い〈ストリート・ファイティング・ウォーターズ〉の独壇場だ。障害を持つウェールズ人のビリー少年がテレパシー能力を駆使して軍事衛星をハッキングし、弾道ミサイルが世界中の主要都市に放たれたと信じ込ませることで全人類を改心させるという、いかにも1987年頃っぽいSFアニメなコンセプトだったわけだ。
にしてもトミーといいレエルといいピンクといいこのビリーといい、文芸面に長けた英国バンドはなぜ、障害がある主人公をやたら設定したがるのだろう。
さてこの巨大な戦力と電波を通じて闘争する青年の物語の舞台が架空のラジオ局《レディオ・ケイオス》ということで、曲間で専属DJのジム・ラッドが曲紹介はするわ、♪けいえいおうえぇぇぇすれでぃおけいおぉぉぉす、的なよくできたそれっぽいジングルまで流れるわと、その演出は凝りに凝っていたのである。現在観れば時代を感じさせるが、ライヴ中に発せられるビリー少年のテレパシーの言葉は、電光掲示板に滲むネオン文字で流されるなど、気合いが入った親切心にも満ちていた。
94年にギルモアズ・フロイド『対』ツアーも担当することになるマーク・フィッシャーがデザインした豪華なステージセットは、〈フロイドの代名詞〉としてお馴染み巨大スクリーンまで標準装備していた。そのセット上に設けられたDJブースから、レディオ・ケイオスの生放送番組がスタートする。やがて番組中にDJが《ザ・ブリーディング・ハート・バンド》を紹介すると客電が落ち、1曲目の“ラジオ・ウェイヴ”が演奏されるときた。
また、本編ラストの“流れが変わる時”が始まる直前には核爆発の〈瞬間〉が怒濤の勢いで具象化されて、観る者全員の度胆を抜く。すごいのはすごい。
ただし、当時は何とも思わなかったのだけど、30年経ったいま聴くと異常に古臭い。これはウォーターズのケースに限らず、薄っぺらくて画一的で規則的で、そもそも運動音痴なくせにダンサブルさを追求した上で、電気っぽい残響を大フィーチュアしないと気が済まなかった80年代サウンドの典型的な手癖は、ウォーターズをもってしても抗えなかったと思わせたのだ。だから本作で、「自分こそがフロイドの頭脳だ」的なウォーターズの強烈な自我の証明はできたものの、当時の最先端コンテンポラリー・サウンドを意識し過ぎて、リバーブのしつこいドラムとかとってもフェアライトなシンクラヴィアとか〈♪ドモアリガトミスターロボット〉なビリーの合成声とか、とにかくありとあらゆるアイテムが存在の軽い音になっちゃった。これはもう、激しく恰好悪い。
というか、とてつもなく〈惜しい〉アルバムだったのだ。
ついでを言えば、石原軍団もしくはスタローン&シュワルツネッガー御用達としか思えないウォーターズの黒グラサン姿は、ただ単に恰好悪かっただけだが。
ところがブート盤、もといプロモ盤なのかコレクターズ盤なのか現在の呼び方は知らないが、この《混沌ラジオ》ツアーの音源と映像を山のように観て聴けば観て聴くほど、面白い。当初はライヴ・アルバムが制作される予定だっただけに、理由はわからないが中止が惜しまれる。だから立場上大きな声では言えないがーーただちに、観るか聴くかした方がいい。
さて前述したように、最新作『RADIO K・A・O・S』収録曲はやはり、ライヴでも例のキラキラした80年代っぽさが目立ち過ぎて、逆に可笑しい。たとえば“ラジオ・ウェイヴ”なんか〈シンセ・ポップを爆演奏するZZトップ〉と化している。とにかくサポートのメンツが超達者揃いなので、どんな楽曲でも本格的になってしまうのだ。どうよ〈実力派80’sロック〉って。盾と矛か?
ちなみにこのライヴ・バンドの正体は、ウォーターズが86年にサントラ盤『風が吹くとき』で発表した10曲のクレジットと同じ《ロジャー・ウォーターズ&ザ・ブリーディング・ハート・バンド》で、メル・コリンズやポール・キャラックらが名を連ねる上に、前回の《ヒッチハイクどっち?》ツアー後半戦からクラプトンの推薦で代役を務めたアンディ・フェアウェザー・ロウまで加わってしまった。皆達者。
にしても、ロバート・フリップとエイドリアン・ブリューを足して寸足らずにしたような、奇妙な風貌と動きが目に焼きついて忘れられそうにないわこのAFLという男。
で話を戻すがこの達者力を背景にウォーターズは、栄光のフロイド・クラシックスをかなり大胆なアレンジで披露しまくった。とにかくオリジナルを徹底的にイジり倒したのである。ここらへん、できるだけ原曲のイメージを損なうことを避けて、劇的叙情性を増量することだけを念頭に心がけるギルモア・モデルとは好対照といえる。
最初の《ヒッチハイク》ツアーから既に、おそろしくブルージーかつアーシーな♀コーラスが支配する“あなたがここにいてほしい”とか、もはや同名異曲なソウルフル過ぎる“葉巻はいかが”とか、観客の誰もが耳を疑った。そもそもクラプトンのギター(しかもAORモード)が似合うピンク・フロイド自体が可笑しいではないか。
そしてこの《混沌ラジオ》ツアー。
もう前回以上に、ザ・ブリーディング・ハート・バンドが最強だった。
変てこな“ラジオ・ウェイヴ”が終わると聴き慣れたマシーナリーなSEが流れ、“ようこそマシーンへ”が始まる。しかしオリジナルに忠実だったはイントロと最初のヴァースだけで、どんどんどんどんフィジカルなバンドサウンドに変貌するではないか。
ポール・キャラックがハードボイルドに唄いメル・コリンズのサックスが炸裂する“マネー”と“葉巻はいかが”なんかも、ブギりまくりでしびれる。フロイドが最も無縁だったR&B流のグルーヴを、ぶいぶい言わせるのだ。
文系っぽいリチャード・ライトの儚い鍵盤の音とは裏腹の、ぐいぐい来るオルガンが“ピッグ”から流れるように繋ぐ“あなたがここにいてほしい”は、まるで“アヴァロン”のようだった。まるでゴスペル・クワイアな力強い女声コーラスとクラリネットの絡みに、もはやシド・バレットの居場所はない。
本編ラスト近くで聴こえるファンキーなギターとラグタイムなホンキートンク・ピアノが躍る粋なR&Rナンバーが、実は“アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)”だったりするなど、ウォーターズの最高のセルフ・カヴァーっぷりに、私は大いに驚異と敬意を抱いたのであった。
ところで恐怖のマザコン育成ソング“マザー”の会場ウケが異常にいいのは、なぜだろう。ハート・バンドのベテラン女子コーラス部三人衆の尋常ではない歌唱力で、〈♪ぼうやよい子で寝んねしなぁぁぁぁぁ〉と強要されると、どんな男の心にも潜んでいるマザコンの古傷が蘇っちゃうのかもしれない。マザコンに国境なし。
なぜウォーターズ、はフロイドをここまで甚だしいセルフ・カヴァーにしたのか。
要するに、〈フロイド・クラシックスの所有権は自分にある〉的な彼の確固たる自信が、意識的に原曲のイメージを覆す解釈に向かわせたのではないかと思う。
「フロイドをフロイドっぽく演ってもダサいだけじゃん」「そもそも俺こそがフロイドなんだから、未来永劫どんな音楽でも俺が演る音楽はすべてピンク・フロイドになるのだ」という、遠回りで面倒くさい自我の発露なのだ。
ただし何と言おうがこれは彼の自己満足で、一方的なカタルシスに過ぎない。だから日程がほぼ重複しあげたギルモアズ・フロイドの《鬱》ツアーに、観客動員数で軽く敗れ去ったのは当然と言える。いわゆるフロイド信者やプログレッシャーならともかく、一般人は〈かつてレコードやCDやFMで聴き慣れたピンク・フロイドに、できるだけよく似たピンク・フロイド〉を聴きたいだけだから。
そんなわかりきった安全策に一切依存しないウォーターズは、資本主義者としては馬鹿だけど、理想主義者としてはキュートだと私に思わせた瞬間が、このツアーだった。何度もしつこく書くが、本ツアーにおけるフロイド・クラシックスは最高である。中盤でしみじみと唄われた“ゲット・ユア・フィルシィ・ハンズ・オフ・マイ・デザート”~“サザンプトン・ドック”の『ファイナル・カット』メドレーから“もしも”へと続く〈究極の空虚ロック〉なんか、もうたまらないではないか。
狂犬トランプをタコ殴りするのもいいが、おそらく二度と見ることはできないだろうこの〈黄昏の自信家〉時代のロジャー・ウォーターズが、実は愛おしい。
いまからでも遅くないから、どうにかライヴ・アルバム化してもらえないもんかなぁ。
にしても、〈こんなにフィジカルなピンク・フロイド・ロック〉を実現してくれた影の立役者は、メル・コリンズ。やはりバンド・アンサンブルの一員として一たびリミッターを外せば、リード楽器としての圧倒的な存在感を放つ。そんな彼のフリーキーな叙情性が、この《混沌ラジオ》ライヴを画期的なものに先導したのだ。
考えてみたら近年の〈三人太鼓だか四人太鼓だか〉キング・クリムゾンも、私はメル・コリンズが実は主役だと思っている。
構造論的には当然、グレッグ・レイクもゴードン・ハスケルもボズ・バレルもジョン・ウェットンもそつなく唄える、しかもメンバー最年少(失笑)のジャッコ・ジャクスジクという〈世界最高の便利屋〉をスカウトできたことが、クリムゾンを蘇生できた最大の要因だ。しかし音楽的には、コリンズがびゃーびゃー吹くからこそ、現在のクリムゾンは艶と生命力に満ち溢れている。プログレ界最後の救世主、だったりするのか。
ちょっとメル・コリンズから目が離せない。なんちゃって。
そういえばピンク・フロイドの全スタジオ録音アルバム15作品の紙ジャケが、15年ぶりに復刻される。前回のA式から今回はE式――フリップバックを含めたいわゆるオリジナル英国アナログ盤LPジャケを、とにかく可能な限り再現するらしい。たぶんいいことだ。
ただ宣材写真を見る限りでは、『対(TUI)』のジャケが日米盤の〈昼間のオブジェ〉写真のままだ。正確を期すならば、〈日没前のオブジェ/口内照明装置4機〉写真をセレクトした方がいいのではないか、と。プログレッシャーの老婆心、無視してください。
第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!
87年作品。ソロ第二弾となる今作はLAの架空ラジオ局”K.A.O.S”を舞台に描かれる現代社会への警鐘がテーマ。主人公のビリーは身体障害者だが、肉体が電波と交信可能という超能力を持つことを知り、ラジオのDJのジムとともに、電波を支配してマインドコントロールしようとする権力と戦い、核戦争をシュミレートして、核の廃絶をも実行しようとする。文学的かつ痛烈な世相批判の言葉がちりばめられ、非常にシニカルではあるが「ザ・ウォール」と同じようなコンセプトを持つ壮大なストーリーが繰り広げられ、1冊の本のような印象を受ける大作。
2枚組、初回特典ステッカー付き仕様、定価3495+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯は経年劣化あります(黄ばみ・小さい折れ・中央部分に色褪せあり)ステッカー付
70年11月21日に行われたモントルー・ジャズ・フェスティバル公演を収録したライヴ音源。収録曲は、
■ DISC 1
1. Astronomy Domine
2. Fat Old Sun
3. Cymbaline
4. Atom Heart Mother
5. The Embryo
6. Green Is The Colour
7. Careful With The Axe Eugene
■ DISC 2
1. Set The Controls For The Heart Of The Sun
2. A Saucerful Of Secrets
3. Just Another 12 Bar
4. More Blues
68年5月のイタリアとオランダでのライヴ音源、そして同年7月のアメリカにおけるライヴ音源を収録。1stと2ndからのナンバーにロジャーのインタビュー音源を含む全9曲。
94年の「対(TSUI)」ツアーの模様を収めたライヴ・アルバム。アメリカ、ヨーロッパを回る77都市、110回の公演で300万人以上を動員したツアーは「史上最大の光と音のスペクタクルショー」として今や伝説として語り継がれるツアーとなった。荘厳なピンクフロイドの音世界とともに、史上最大のステージセット、複雑怪奇な映像を写し出す大円形スクリーン、目が痛くなるほどの光の洪水(ヴァリライトが生き物のように動き回り、レーザー光線が会場中を照らし出す)、牙の生えたブタが宙を舞い、巨大ミラーボールが光を放ち、これでもかと言わんばかりの花火の嵐・・・。まさに「美」としかいいようのない、それまでのコンサートの定義を大きく変えるものであった。今作の目玉はなんといっても「狂気」全曲再演収録。75年の最後の演奏以来19年振りに94年7月のデトロイト公演で復活。ここに収録されているのは、8月ドイツ、9月イタリア、10月ロンドンのライヴより。1-(2)の「天の支配」はUS公演ではオープニング・ナンバーだったのだが、誰もが度肝を抜かれたシド・バレット在籍時の1stアルバムからの曲。
廃盤、DVD2枚組、デジパック仕様(トールサイズ)、ボーナス映像多数収録、NTSC方式、リージョン2、日本語字幕あり、帯・別冊ブックレット・解説付仕様、定価4,700+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯に若干色褪せあり
CD+DVDの2枚組ボックス、ディスクは日本プレス、ボックス・ブックレット・ポストカードは直輸入、DVDはNTSC方式・リージョンフリー、帯・解説・ブックレット付仕様、定価5500+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
CD+DVDの2枚組ボックス、ブックレット・ポストカード3枚付き仕様、DVDはNTSC方式/リージョンフリー
盤質:傷あり
状態:良好
ボックスに若干スレあり
CD+ブルーレイディスクの2枚組ボックス、各DISCはペーパーケース入り仕様、ハードカバーブックレット・ポストカード3種付仕様
盤質:傷あり
状態:良好
ボックスに凹み・圧痕・小さい汚れあり
ブルーレイディスク2枚組、特殊ペーパーケース・スリップケース付き仕様、解説・60ページブックレット付き、日本語字幕あり、定価9000+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯-
1968年2nd。Syd Barrett脱退〜David Gilmore加入という状況下で制作された本作は、1stのサイケデリック感覚を残しつつプログレッシヴ・ロックへの目覚めも感じさせる内容です。ハイライトは12分近い大作「A Saucerful Of Secrets」。シンセサイザーを始めとする電子音や様々なSEが絡み合うどんよりとしていながらスペイシーな導入部から期待感を煽ります。複雑なサウンド・コラージュの渦から、肉感的なNickMasonのドラムが浮き上がる混沌の中間部、荘厳なオルガンと重々しいコーラスが鳴り響くクライマックスまでPINK FLOYDならではの構築美を感じさせる楽曲。他にもメロトロンが夢うつつな黄昏感を演出する「See-Saw」、盛り上がっていたジャグ・バンドの演奏がブツ切りされた後、虚ろなヴォーカルが締めるSyd Barrett最後の作品「Jugband Blues」など、聴き所は満載です。初期の音楽性への惜別と、新しい可能性への期待を同時に感じ取れるアルバム。
ブルース・ロックに根ざした音楽性を持ちサイケデリック・ロックからその歩みを始め、全盛期にはRoger Watersの哲学的な歌詞と完璧なまでのコンセプト性で数々の伝説を作り上げた、世界を代表するロックグループの71年6th。その内容はサイケデリック・ロックの質感を残しながらもブルーズ・ロック、ハード・ロックのアンサンブルも取り込み、スペーシーな音像で迫る作風となっており、なんと言っても彼らを代表する1曲と言える大曲「Echoes」が大きくその存在感を放っています。ロックというジャンルに人間の精神性や虚無感など様々な要素を内包させ、音楽と言う枠組みさえも骨抜きにしてしまうような絶対的な個性に溢れた名盤であり、PINK FLOYDらしさが確立された必聴盤です。
ペーパーケース仕様、James Guthrieによる新規デジタル・リマスター、Storm Thorgersonがブックレットを監修した2011年リイシュー盤
盤質:傷あり
状態:良好
ペーパーケース取り出し口に小さい汚れあり
ブルース・ロックに根ざした音楽性を持ちサイケデリック・ロックからその歩みを始め、全盛期にはRoger Watersの哲学的な歌詞と完璧なまでのコンセプト性で数々の伝説を作り上げた、世界を代表するロックグループの73年8th。もはや解説不要なまでの英国70年代ロックを代表する傑作であり、アメリカのビルボードチャートにおいて200位以内に15年間に渡ってランクインするという記録を打ち立てたロックの金字塔です。人間の内面に潜む「狂気」をリアルに描いた作品となっており、Alan Parsonsによって丹念に編集された様々な効果音のコラージュ、シンセサイザーの効果的な登用、ヒプノシスによるジャケットアートなどトータルコンセプト・アルバムとして不朽の名盤と言えます。
ブルース・ロックに根ざした音楽性を持ちサイケデリック・ロックからその歩みを始め、全盛期にはRoger Watersの哲学的な歌詞と完璧なまでのコンセプト性で数々の伝説を作り上げた、世界を代表するロックグループの75年9th。前作「狂気」を発表しツアーも成功のうちに終了、休業解散状態であったバンドが再びシーンに返り咲いた作品であり、創設時のメンバーSyd Barrettを想起させるテーマを盛り込んだ、Roger Watersの色濃いコンセプト・アルバムとなっていますが、その内容は「狂気」のクオリティーをそのままに別なベクトルへ向けて発信した傑作です。トータル志向という意味では確かに「狂気」に軍配が上がるも、各楽曲のクオリティーは全く見劣りせず、彼らの代表作の1枚に上がることも多い名盤です。
紙ジャケット仕様、オリジナルLPレーベル面レプリカ2枚付、94年オリジナル・マスター使用、定価1890
盤質:傷あり
状態:並
帯有
解説に蛍光ペンで書き込みあり
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